「信頼しない、常に検証する」—これがゼロトラストセキュリティの核心です。
従来のネットワークセキュリティは「城壁と堀」のような境界防御モデルに依存してきました。企業ネットワークの外側に強固なファイアウォールを設置し、内部は比較的自由に通信できる環境を構築するアプローチです。しかし、クラウドサービスの普及、リモートワークの一般化、IoTデバイスの増加により、この「内側は安全」という前提が崩れつつあります。
私は、多くの企業が「VPNさえあれば安全」と考えている現状に危機感を覚えます。内部ネットワークに侵入されれば、攻撃者は横方向への移動(ラテラルムーブメント)が容易になり、重要システムへのアクセスを獲得できてしまいます。
ゼロトラストモデルでは、ネットワークの内側も外側も区別せず、すべてのアクセス要求を潜在的な脅威として扱います。ユーザー、デバイス、アプリケーションは常に検証され、必要最小限の権限だけが付与されます。「信頼は与えるものではなく、常に検証して獲得するもの」という考え方への根本的な転換が求められているのです。
では、具体的にゼロトラストセキュリティをどう実装すればよいのでしょうか?
ゼロトラスト実装の5つの基本原則
ゼロトラストへの移行は一朝一夕には進みません。段階的なアプローチが現実的です。以下の5つの原則を理解することから始めましょう。
1. すべてのリソースを安全に接続する
ゼロトラストでは、すべての通信が暗号化され、認証されることが前提です。社内ネットワークであっても、通信は暗号化されるべきです。TLS 1.3やIPsecなどのプロトコルを活用し、データの機密性と完全性を確保します。
2. 最小権限の原則を徹底する
ユーザーやシステムには、業務に必要な最小限のアクセス権限のみを付与します。これは「知る必要性」の原則とも呼ばれます。
ある金融機関では、データベース管理者でさえ、担当外のデータベースへのアクセス権を持たないよう厳格に管理していました。また、アクセス権は定期的に見直され、不要になった権限は速やかに削除されていました。
権限の過剰付与は、内部不正やマルウェア感染時の被害拡大につながります。JIT(Just-In-Time)アクセスの導入も効果的で、必要なときだけ一時的に権限を付与する仕組みが理想的です。
3. すべてのトラフィックを監視・検証する
ゼロトラストでは、ネットワークトラフィックの継続的な監視と分析が不可欠です。異常な通信パターンや不審なアクセス試行を検出するために、高度な分析ツールやAIを活用します。
具体的には: - SIEMシステムによるログの一元管理と相関分析 - 振る舞い分析による異常検知 - エンドポイントの継続的な監視
あるテクノロジー企業では、通常業務時間外のデータベースアクセスや、特定のユーザーの通常とは異なる大量のファイルダウンロードを検知し、データ漏洩を未然に防いだ事例があります。
4. 常に認証と認可を行う
ゼロトラストの中核は、継続的な認証と認可です。一度認証されたからといって、その後のアクセスがすべて許可されるわけではありません。
多要素認証(MFA)は最低限の要件であり、さらに進んだ企業では以下のような対策を講じています: - コンテキストベースの認証(アクセス元の場所、時間、デバイスの状態など) - リスクベースの認証(通常と異なる行動パターンを検知した場合に追加認証を要求) - 継続的認証(セッション中も定期的に再認証)
「このIPアドレスからのアクセスだから安全」という単純な判断ではなく、複数の要素を組み合わせた総合的な判断が重要です。
5. デバイスの健全性を確認する
ゼロトラストでは、接続するデバイス自体のセキュリティ状態も検証対象です。最新のセキュリティパッチが適用されているか、マルウェア対策ソフトが正常に動作しているか、デバイスが改ざんされていないかなどを確認します。
これを実現するためには: - エンドポイント保護プラットフォーム(EPP)の導入 - デバイス証明書による認証 - デバイスの健全性チェック機能を持つNAC(Network Access Control)の活用
ゼロトラスト導入の課題と対策
ゼロトラスト導入には様々な壁があります。ここでは主な課題と対策を紹介します。
ユーザー体験への影響
セキュリティ強化が業務効率の低下につながると、ユーザーの不満や「抜け道」の模索を招きかねません。ユーザー体験を考慮したセキュリティ設計が重要です。
例えば、リスクベースの認証を導入し、通常の業務パターンでは簡易な認証で済ませ、異常な動作が検出された場合のみ追加認証を要求する設定が効果的です。
コストと投資対効果
ゼロトラスト実装には相応の投資が必要です。経営層の理解を得るためには、セキュリティインシデントのコスト(直接的な損害だけでなく、風評被害や事業中断も含む)と比較した投資対効果を示すことが有効です。
人材とスキル
ゼロトラスト環境の設計・実装・運用には、高度なスキルを持つ人材が必要です。人材育成と並行して、マネージドサービスの活用も検討すべきでしょう。
まとめ
ゼロトラストへの移行は、単なる技術導入ではなく、セキュリティに対する考え方の転換を伴います。「内部は安全」という前提を捨て、常に検証する文化を醸成することが成功の鍵です。
まずは小さな一歩から始め、デジタル時代の新たなセキュリティ標準に向けて歩みを進めましょう。